註19:John Burroughs: Introduction of BIRD NEIGHBORS:An Introductory Acqaintance with One
              Hundred and Fifty of Our Common Birds (1897)
When I began the study of the birds I had access to a copy of Audubon, which greatly stimulated my interest in the pursuit, but I did not have the opera glass, and I could not take Audubon with me on my walks, as the reader may this volume.

註20 Plainfield New Hampshire: Plainfield Historical Society:

The Meriden Bird Club was founded by naturalist Ernest Harold Bayne in 1910. Baynes persuaded townspeople and KUA students to attract and protect birds through the building of bird houses and baths. Soon Meriden became known as “The Bird Village.” In 1911 the Club purchased this thirty-two acre property, creating the first bird sanctuary in the country.

註21:BESS LIEBENSON :Naturalist Ahead of Her Time, NEW YORK TIMES  January 10, 1999

註22:Mabel Osgood Wright :CITIZENBIRD: SCENES FROM BIRD-LIFE IN PLAIN                       ENGLISH FOR BEGINNERS( 1897)

"Citizen Bird, you said," replied Nat, "though I don't think I quite know what you mean.""What does citizen mean?" asked the Doctor, smiling."I think it is a person who lives in a city, but birds aren't people and they don't live much in the city.""You are right in one sense, my boy, but the word citizen has also a far wider meaning. Do you know what it is, Olive?" But Olive was not sure, and the Doctor asked her to go to his study and look for the word in the big dictionary. In a few minutes she returned with a slip of paper from which her father read: "Citizen?a member of a nation, especially of a republic; one who owes allegiance to a government and is entitled to protection from it." "Now, if you listen carefully I think I can prove to you that every bird you can find is such a citizen of this country, and show you why we should protect him. "I told you the other day how the body of a bird was planned and built to fill a place no other animal could take. Thus by his habits and character every bird fills a place as a citizen of our Republic, keeping the laws and doing work for the land that House People, with all their wisdom, cannot do. Every such fellow-animal of ours, besides having eyes to see with, and a brain which, if it does not tell him as many things as our brains tell us, yet teaches him all that he need know to follow the laws that Heart of Nature has set for him, has the same feelings and affections as ourselves.

註23:Deanh T. Spaulding:Housing Our Feathered Friends  (1997)
    Debora Morgenta :The Ultimate Birdhouse Book: 40 Functional, Fantastic & Fanciful Homes
                to Make for Our Feathered Friends      (1998)
    Jerry Baker: Jerry Baker's Backyard Bird Feeding Bonanza: 1,487 Tips, Tricks, and Treats for             Attracting Your Fine-Feathered Friends   ( 2006)  
   Jette Norregaard Nielsen:Feathered Friends: 18 Paper-Pieced Blocks for Bird Lovers  ( 2008)

                                       
19世紀末から20世紀初頭にかけて野鳥保護運動は新しい展開を始める。野鳥は自然の中に住む隣人(Bird Neighbor)、自然からのお客様(Wild Bird Guest)、そして野鳥は人間同様保護される市民権を有する市民(Citizen Bird)である。野鳥こそ、人間にとっての大切な友人(Featherd Friend)である。

20世紀になると、それまでは個人の段階にとどまっていた野鳥を友とする考え方は、野鳥を保護することは全ての市民、人間の義務であり、野鳥の保護は市民一人ひとりの、人間自身の幸福のためにも重要であると、認識しなければならないと、積極的に野鳥の保護が唱えられるようになってきた。

こうした考え方を主張したのはNELTJE BLANCHAN著BIRD NEIGHBORS:An Introductory Acqaintance with One Hundred and Fifty of Our Common Birdsである。この本は、1897年初版が出版されたが、1900年に7版が増版されるほど愛鳥家によって愛読された本である。この本の紹介文を書いた博物学者であり、アメリカを代表する環境保護者でJohn Burroughs(1837-1921)は、『我々の身近にいる野鳥達を詩情あふれる文章で書き上げたこの本は、オーデユボンの著作にも劣らない名著である』と激賞している。註19

著者NELTJE BLANCHAN はペンネーム、本名はNellie Blanchan De Graff(1865~1918)、科学歴史家であり、野鳥・ガーデニング等、自然を詩的描写で表現した著作家である。そして本書はもと夫Frank Nelson Doubledayによって創設されたDOUBLEDAY & McCLURE COによって出版された。また、1989年、孫NELSON DOUBLEDAY はニューヨークメッツを買収している。彼女の死後、彼女の功績を記念したNELTJE BLANCHA文学賞が創設されたが、この賞はジャンルにとらわれず自然をテーマにした優れた著作に与えられている。

WILD BIRD GUESTS: HOW TO ENTERTAIN THEM(1915)の著者ERNEST HAROLD BAYNES(1868?~1925)は、自然主義者であり、野鳥保護の講演活動に熱心な作家であり、米国で最初の野鳥保護施設Meridn Bird Club註20 を創立した。最初彼は絶滅の危機に瀕していた野牛の研究をしていたが、当時上流階級の夫人達が使用している帽子の装飾に羽毛が使用され、そのため多くの野鳥が虐殺されていることを知り、大統領ルーズベルトの支援を受け、積極的に野鳥の保護にあたった。

彼はドイツのベルレシュプ男爵の野鳥保護運動を高く評価し、1898年同男爵が開発したバードハウスを輸入し、米国での生産のためオーデユボン協会と共同でバードハウスの製造に取り掛かかったが不慮の失火で工場が喪失、中止をせざるをえなかった。

彼はシジュウカラを愛しており、講演活動から久し振りに帰宅、自邸の庭に入ると、シジュウカラガ彼の後になり先になり彼を出迎える様になったと述べている。

1897年CITIZEN BIRD: SCENES FROM BIRD-LIFE IN PLAIN ENGLISH FOR BEGINNERSを書いたMabel Osgood Wright(1859~1934)マベル・オスグッド・ライトは最初は子供対象の本や自然についての本はかなり高い評価を受けていたが1906年までは覆面作家として活躍していた。

彼女は小説家、自然観察者であり写真家としても著名であり、熱心な野鳥保護者であり、1898年、彼女はコネチカット・オーデュボン協会を設立、会長として野鳥保護運動を行う一方、1915年にはアメリカで最初の個人のバードクラフトサンクチュアリを設立した。またバードハウスの懸架を推進、野鳥を自宅の庭に招く方法、バードハウス、バードフィーダー、バードバス製作参考のパンフレットを発行した。註21

彼女の著作には、「『The Friendship of Nature:New England Chronicle of Birds and Flowers』(1894)、『Birdcraft,a Field Book of Two Hundred Song, and Water Birds』(1895)、等があり、CITIZEN BIRDの第5章CITIZEN BIRDの中で子供が先生に何故人間でない鳥が市民であるのか糺す場面が描写されている。註22

こうした思想を現代風に現したのがFeathered Friendと言う言葉である。Bird Neihbor、Wild Bird Guest、Citizen Birdといった言葉には修辞学的硬さを感じるが、最近は、Feathered Friendというソフトな今日的言葉が一般的に使用されるようになった。註23 然しこの言葉が本のタイトルに使用されたのは最近の事ではなくではなく、既に、1907年Charles E. HolmesがBirds of the West: An Account of the Lives and the Labors of Our Feathered Friendsのタイトルで使用していたのである。

著者のチャールス・E.ホルメスはサウス・ダコタ州オーデユボン協会の会長だった。彼はこの本の序文の最初に『私は科学者ではなく、
一介の自然愛好家に過ぎない。だからこの本の読者が私の書いていることがすべて正しいと言ったならば私は喜ぶよりは驚いてしまうだろう。私は気ままに森や小川のふちをさまよい歩き、私の見た自然を素直に書いているだけなのである。』と述べている。さらに『この本はこの本を読んだ人たちに捧げる』と献辞の言葉を書いている。

Feathered Friendという言葉は謙虚な自然に優しい労わりの心を持つ著者だからこそ使用された言葉である。


Gilbert Haven Trafton(1874-?)は、野鳥保護について日本で最初に出版された農商務省農務局:『巣箱給与に依る鳥類保護』(内田清之介、葛精一共著)に大きな影響を与えた鳥類学者である。

ギルバート ヘブン トラフトンは、野鳥を友人と呼び、その著BIRD FRIENDS(1916)の序文の中で「この本は野鳥愛好家だけではなく、特に野鳥に興味を持っていないが地域福祉に関心を持つ一般人を対象」に書いたと述べ、更に「野鳥を保護することは国家の資源を守ることでもある。また子供たちに野鳥の保護の重要性を教える教職者に読んでもらいたい。」と述べている。

また、”第一章 野鳥の価値:旅する野鳥 アメリカ大陸の発見”の中では、「コロンブスのアメリカ大陸発見は渡り鳥の導きによるものであった」と友人としての野鳥を高く評価している。

資料はLIBRARY OF THE AMERICAN MUSEUM OF NATURAL HISTORY 

20世紀初頭は世界大戦と大恐慌の時代だった。1919年、第一次世界大戦で敗北したドイツは疲弊のどん底にあった。同年、ワルター・グロピュース(1883-1969)は若者たちに夢と希望を与える芸術学校バウハウスをワイマールに創設した。

バウハウスは、芸術、技術、建築、クラフトマンシップの統合を図り、デザイン、機能の優れた製品を大衆に提供しようとする試みであった。然しナチスドイツのの台頭により学校は閉鎖に追い込まれ、ワルター・グロピュース、マルセル・ブロイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ等は新天地を求めアメリカに亡命した。

彼等の『単純化、標準化により、優れたデザインの製品を大量生産が可能となり、消費者大衆は低廉な価格で優れた製品を入手することが可能』という思想はアメリカ人の共感を呼びあらゆる分野で取り入れられた。然し本質的な問題は理解されず曲解され、住宅は潤いの無い、無味乾燥な、機能性重視の『住む為の機械』と化し、庭園も手入れを簡単に効率的に出来る様レイアウトも単純化が図られた。

愛鳥家だったグロピュースの妻イセが庭師に伝統的なバードハウスとバードバスのある庭園プランを頼んだところ、庭師はシンプルな庭園には、バードハウス、バードバスはふさわしくないと拒絶された逸話がある。註24
 然しバウハウスのデザイン思想ははバードハウスデザインにも取り入れられ、これまでの写実主義的な、複雑なバードハウスから簡素な使いやすい美しいバードハウスへと変わっていった。



註24: May Brawley Hill:FURNISHING THE OLD-FASHIONED GARDEN  Three Centuries of American
             Summerhouses, Dovecotes, Pergolas, Privies, Fences & Birdhouses(1989)
註25: Leslie Caristo:『FROM BAUHAUS TO BIRDHOUSE』(Harper Collins Publishers 1992)
            この本は、農民芸術としてのバードハウス、ガーデニングとしてのバードハウスを歴史的
            に解説しているが、標題の『BAUHAUS』については全く触れられていない。
アメリカ文化としてのバードハウス 3
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7. 20世紀初頭のアメリカの文献に見る野鳥保護思想  Birds Neighbor Wild Birds Guest
             Citizen Bird Bird Friend → Featherd Friend

8.バウハウスのデザイン思想がバードハウスへ